広島県の廿日市市(はつかいち市)は、厳島神社がある市です。
廿日市市は伊能忠敬に先駆けて測量をしていた天文学者の堀田仁助さんが生まれた場所です。
宮島から少し離れた場所に佐方八幡神社があります。
佐方八幡神社には、堀田仁助さんが寄進した石灯篭があります。
廿日市市
廿日市市(はつかいち市)は、広島の厳島神社がある市です。
佐方八幡神社は、広島駅から路面電車(広電)で、宮島に行くまでの間にあります。
佐方八幡神社の周辺は、ほのぼのした住宅街でした。
佐方八幡神社
広電の駅から5分ほど歩いた場所に八幡神社はあります。
右方には広大な山が見え、住宅街の真ん中ですが神社には木々が生い茂っていました。
境内も風が気持ちいい場所でした。
牛さんや、布袋さんもいました。
堀田仁助先生
堀田仁助(ほったにすけ, 1745-1829)先生は、天文学者で測量家、数学者の偉人です。
この廿日市で生まれ、江戸の幕府天文方で働いていました。
測量・地図作成は、伊能忠敬さん(1745-1818)が有名ですが、蝦夷地の測量にあたっては、堀田仁助先生の功績が大きかったようです。
晩年は、津和野(島根)の藩校養老館で、和算(関流数学)を教えていたようです。
石灯篭
佐方八幡神社には石灯篭がいくつかあります。
階段の下の灯篭については個人的に分からないのですが、階段の上の石灯篭は堀田仁助先生が寄進したものと紹介されています。
階段の上の鳥居の周りに、石灯篭が4つがあります。
これらの石灯篭は、堀田仁助さんが寄進したものと紹介がありました。
堀田仁助の石灯篭
この石灯篭は、廿日市の津和野藩御船屋敷で生まれ、後に偉大な天文学者・科学者となった堀田仁助が、文化五年(一八〇八)に寄進したものです。
仁助は天明二年(一七八ニ)に幕府天文方に招かれて、暦や測量機器を製作し、伊能忠敬に先駆けて蝦夷地地図や海路図を作成、蝦夷地航海測量の先駆者となりました。
少年時代を過ごした廿日市を誇りに想い、故郷の産土の神に寄進したものです。
佐方八幡神社裏参道鳥居奉納有志の会
各地の測量をしていた方が、「誇りに想う場所」というのはとても凄い町ということです。
いまここ
測量も天文学も、その正確性・信頼は、数学が保証しています。しかし、数学を盲信しているだけでは、地図はできません。
実際に測量という行動をして、信頼がある数学の知識と合わせて、正確な地図が完成します。
灯篭というものは、灯りで道を照らして道標となってくれるものです。
測量をして地図を作成した堀田仁助さんが寄進した灯篭は、私たちにとって大切な道標となるものです。
どれだけ大変な作業であったか、私には分かりませんが、先人の業績の上に私たちの生活は成り立っていて、これらを継承し更に発展させていくことが大切です。