あなたが文系の学部を志望する生徒や学生で、数学を勉強しなきゃいけない立場であると「文系だから数学いらない」という声を発したくなるかもしれません。

この意見を私は頻繁に聞きます。この意見の理由は「数学が苦手だから数学が要らない」となってしまっているように感じています。

高校の数学が文系のあなたにとって何の役に立つのかという問いについて、真正面から一緒に考えます。

高校の数学への見方を一つ共有できるといいなーと思っております。この記事は、次のような方を対象に執筆しております。また、次のような方を指導する立場の方へ向けて執筆しております。

  • 文系高校生
  • 文系の大学学部に進学したい受験生
  • 何か新しいことを為したい人

あわせて、次の記事もご覧ください。

今を生きることと数学を学ぶこと

数学なんて役に立たないと主張するあなたに対して、 どんな勉強であったら、何ができるようになると役に立ったと言えるのか、何が実現できるようになると役に立ったと言え…

【第一の回答】文系に数学が不要、役立たないについて

まず第一の回答は、文系に数学は何一つ役に立たない、というものです。

普通に仕事をして、普通の暮らしをすれば、高校の数学なんて何一つ要らないと思います。

知識技能(理数系)

数学は、たしかに義務教育(小学校)の数学は生活や仕事の最低限のスキルに必要だと思います。ただ、高校の数学は、あくまで大学数学の準備であって、特に、理数系の学問の礎となっておりますので、理数系の学問や仕事の為の準備と捉えれば文系には不要と思われます。

また、中学の代数、幾何、関数(解析)、確率・統計を強化する為に勉強するという立場もありますが、そこまで高度なことは日常生活には必要ないでしょう。

知識技能(人文系)

しかし、人文学系の学問や仕事にも数学はふんだんに利用されています。どのような学問に、どのように利用されているのか、具体的に紹介します。

経済学は、数学的根拠で成り立っている学問です。経営学などは、経済学の知識などを借りています。芸術(美術・デザインや音楽など)にも数学的整合性や美的感覚は利用されています。これらを応用した、現代のCG、建築学は数学的計算が無ければ成り立ちません。哲学は、数学よりも独立した学問と言えますが、大学院時代の哲学の同僚に言わせれば、数学は無くても良いが、数学的な証明の手法を用いた方が理論に権威が付く、と言ってました。心理学をしている友人が多く居ますが、基本的に統計が使えないと研究ができません。精神物理学と言う概念もあり、数学を使います。教育学は、心理学を(一部)借りている学問のようなものですから、そういう意味では数学は必要です。 政治学や法学、言語学には数学は及ばずです。ただそれでも、前者では、数学の論理性を知っておくこと、科学技術の礎たる数学の教養を嗜んでおくことは不要ではないでしょう。後者は、また、統計的手法、暗号理論を知っておけば、より解析しやすいでしょう。占術は、非科学的であると立場が低く 見受けられていますが、ビックデータを処理できる現代では、統計やAIの発展と共に数学で解析できるものとなるでしょう。

ただ、それでも、自分にとって数学は要らない、と考えを変えない人も要るでしょう。その気持ちも当然だと思います。

【第ニの回答】文系に数学が不要、役立たないについて

第二の回答として、思考力や論理性(演繹性)、整合性などを鍛える練習として、数学が必要であると捉えることが挙げられます。

形式陶冶性

形式陶冶(けいしきとうや)とは、簡単に言い換えると、論理的に考えるなどと言ったスキルのことです。これは必要だと思います。だから、数学は難しいのであって、 乗り越えた所に達成感が広がっています。他の学問よりも、数学は、より強力で抽象的で理性的な思考を必要とします。それは、この「正解のない世界」に、解を見いだすという一つの道筋を示してくれています。

なお、演繹的論理性という部分に数学の性格があります。この性格が数学と算数の違いでもあります。

しかし、考える訓練ということであれば、他の学問、他の機会や経験の方が、文系の皆さんには興味があるし、向いているかもしれません。

【第三の回答】文系に数学が不要、役立たないについて

文系に数学が不要、役立たないという意見に対して、第三の回答を強調したいです。

しかし、この前に、高校の数学を学ぶことは贅沢だということを再認識しておいてほしいです。これは、義務教育ではない、ということと捉えて貰っても構いません。

さらに、「役に立つ」という意味は、「必須」であるという意味とは異なることにも留意しておきます。混同しがちですが「役に立つ」というのは「必ず知っておかないといけない」という意味ではありません。

教養

これらの上で、第三の回答として、教養として知っておく、という意義を伝えておきます。幅広い意味がありますが、単に物知りになる、自分に関係ないことでも知っておいた方がよい、ということではありません。(もちろん、これも必要だと思います。)

社会での数学の必要性

そもそも、この成熟した社会で働くにあたって、数学も他の学問も必要ないと思います。あったら有ったで良い、くらいの認識で良いかもしれないでしょう。たしかに不要です。より詳細に言えば、数学に詳しい一部の人間が、様々なものをセッティングしてくれるので、それを享受すればよいと思います。たしかに、そうです。それも否定しません。

この一部の人間に成れとも(強要しては)言いません。(成ってほしい気持ちはありますが。)

【第四の回答】文系に数学が不要、役立たないへの数学教育者の想い

最も言いたいことは、今ある学問、今ある仕事の中で思考を満足するのではなく、「新しいこと」を為して欲しいということです。

新しいことを為すこと

そのときに、何を学んでおく必要があるでしょうか。

もちろん数学など不要な場合もあるでしょう。ただ、理系や文系、今流行の情報系、医学にも美術も、他にも、これだけ幅広く活用されている歴史がある学問 (mathematics)を知っておけば、未知なることに対して、何かしらのアプローチとして利用できそうだと思いませんか?

各分野や領域において、今も昔も、それらを数学とリンクさせた第一人者が居たのです。

大きなことではなくとも、何かしら小さな「新しいこと」であっても状況は同じです。

特に、先頃、新しい時代になったばかりです。何かの第一人者になるべき(なってほしい)君たちには、新たな未知を切り開くために使われてきたと歴史が示している、強力な思考手段であり科学技術の礎である数学というものを、その教養とともに強い興味を持って身に付けて欲しいのです。

【数学の勉強】文系に数学が不要、役立たないについて

数学は、たしかに難しいです。ただ、勉強内容にだけ思考を巡らすのではなく、その勉強手法も含めて、そこまで自分で考えるべきことだと思います。

自分の勉強をしてください。

分からない所があれば、あなたの分からない所です。それを解決するのは自分の勉強しかありません(質問してもよいです)。

数学を勉強すれば得られること

教養の部分を強く推しましたが、ここまで書いたことは、全て数学の勉強を上手くすれば得られることです。

数学は、理系や文系を問わず幅広く利用され、考える礎となっており、その上で、直近には、受験の為に数学は必要だし、面白さや達成感を得られやすい学問だとも思います。

これらを踏まえて、自分にとって数学は不要と思うのであれば、自分で意義を見いだすか、諦めて受験の為だけにほどほどに勉強するか、勉強をしない(捨てる)、のどれかで良いと思います。

ただ、もう一度、高校の勉強は贅沢であることを思い出してください。
勉強は、しなければならないことではなく、そもそも贅沢なのです。

勉強をしなければ生きていくことができない訳ではなく、
勉強をすれば上手に生きていくことができます。

数学から逃げ続けても人生には何も支障はありません。(それで自分自身が良ければ、ですが。)しかし、こういった考え方は、自分の夢と道筋が明確に定まっている人間に許されることだと思います。

【まとめ】文系に数学が不要、役立たないについて

以上の理由と想いを持って、皆さんに数学を学んで欲しい、と思っています。

教科書の内容の中には、一見ショボいもの、無味乾燥のものもありますが、大概、大きな理論や結果に繋がる初歩となっています。

分からなければ、聞いてください。どれくらい精確に応えられるかは分かりませんが、できるだけ世界が広がるように努めます。

令和元年に執筆した文章です。
ここまで読んで何か受け取って貰えたら幸いです。

お読みくださりありがとうございます。

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